限界について

皆さまこんにちは


今日は卓球だけに限らず、限界について語ろうと思います


よくスポーツ選手ならば「限界を超えろ」と言われることが多いのではないでしょうか


これはスポーツ選手に限らず、学校の先生やちょっと熱い職場の上司や先輩でも言う人はいると思います


多くの人は超えられるか超えられないかに関わらず、限界は作ってはいけないものだと考えているのではないでしょうか


しかし私はバリバリの体育会系のスポーツマンだったにも関わらず、そうは思いません


逆に全国1位の高校に行くほどのスポーツマンだったからこそ、限界について深く考えさせられました


今私が話している限界とは、「あらゆることにおいて」です


限界を作らないことができる人は作らないに越したことはありませんが


やはり世の中は平等ではないのです


私は当時本気で日本のトップ選手になることを夢見て毎日練習に励んでいました


しかし、筋力面や技術面を鍛えれば鍛えるほど自分の限界が見えてしまうのです


どれだけ勝ちたいと願ったり、本気で死ぬ気で努力をしても私の「最大値」が上がることはありませんでした


不平等であるがゆえに、私は最初からその人の器は決まっていると思っています。


なんともネガティブな考え方だと思うかもしれませんが、


あなたが今行っていることも最初から器は決まっており、結局どこまで最大値に近づけるかを努力しているにすぎないということです


それがわからなければわからないほど、まだ自分の限界には近づいていないということです


私がこの考え方を最近如実に感じたスポーツ選手がいます、


それは野球の斎藤佑樹投手です


私はほとんどの「球技」において、先ほどの考え方でいろんな選手を見ていますが、


やはり不調であったり、上手く結果が残せない選手には必ず「理由」があるのです


逆に好調であったり、素晴らしい成績を収めている選手にも「理由」があると思います


全てはそれを始めたときから決まっているのです


斎藤投手で言えば、


言わずもがな、斎藤投手は甲子園で早稲田実業を優勝に導いた誰もが認めるスーパースターですが、


大学に入学したあたりから、プロでは通じないと囁かれていました


私は野球に関してあまり詳しくはありませんが、


なんとなく、斎藤投手の投げ方には柔軟性がなく肘から手首にかけての「しなり」がなく、ただ腕だけで押し出しているように見えるのが


打者にとっては一連の動作が読みやすく、ボールに伸びや体重が乗っていないので簡単に打たれてしまう要因のように感じます


写真を見たときに田中将大投手などは手首が開いていて、体重と腕のしなり、手首の返しまでの一連の動作がスムーズで体の軸で投げているような印象を受けましたが


斎藤投手はフォームはキレイなのですが、手首があまり効いていなくて、腕だけで投げているので、キレイですが質の軽いボールを投げているような印象を受けました


素人が偉そうにおこがましいと怒られそうですが、つまり何を言いたいのかというと


斎藤投手は甲子園の時点ですでに完成されており、良くも悪くもそれが限界だったということです


対して、田中将大投手はまだあの時点では未完成であり時間をかけて今に至るまでの器を完成させたということです


かなり失礼なことを言っているのは承知ですが、(偉そうなこと言って本当に申し訳ありません)自分の限界に関しては本人が一番その理由をわかっているでしょう


卓球でも福原選手はわずか14歳にして世界のベスト8に入りましたが、その後女子の卓球界のプレースタイルが進化するに従い徐々に勝てなくなってきています


自分のプレーが完成すればするほど、自分の限界を本人は知っています、おそらく水谷選手もほとんどプレースタイルは完成されており


世界のトップにいるものの、「何をされたら勝てないか」や「誰に対しては勝てない」、「このプレーはできない」など自分の限界も熟知していると思います


「限界を超えろ」というのは、正しくは「限界に近づけ」という意味なのではないでしょうか


ただ、限界というものに悔しい思いをさせられ、なぜ自分ではないのかと絶望したりする中で得られた「1つの答え」があります


それは限界がどこなのかは重要ではなく、「何を選ぶか」が最も重要だということです


「何を選ぶのが正しいのか」なんてわかる人はいません


ですから人は多くの過ちを犯すのです


天才とは、自分が何を選ぶべきか直感的にわかる人のことです


最初から正解の道を選べた人はラッキーです、あるいは最初からそう決められていたのかもしれません


しかし、仮に自分が選んだ道が行き止まりだったと気づいた人であっても、


それがわかるということは、真剣にその道を極めたということであり逆に言えば「まだ他の道にチャンスがある」ということです


大変かもしれませんが、また一からその道を頑張ればいいだけの話です


しかし、問題なのは自分の限界がわからない人はその先が行き止まりなのかどうかもわからないまま立ち尽くすことしかできないということです


限界から逃げている人は、勇気を持って自分の限界を知るために限界に近づく努力をしましょう


もしその道が行き止まりの道だったら、努力が無駄だと感じるかもしれませんが


その努力はより自分の正解の道を鮮明に照らし出し導いてくれるでしょう、そして必ず正解にたどり着くまでに大きな役に立ってくれます


限界があることを認め、受け入れ、自分の限界を知ることによって人は正しい道へ歩もうと努力することができるのです


ただし、何でもかんでも自分で勝手に限界を決めつけてはいけません、それがわかるのは本当にそれが好きで努力した人だけです


限界を超える唯一の方法は限界を恐れずに挑戦し続けるということです


それが、いつか自分のより限界のない正しい道へ自分を誘ってくれるのです


限界と向き合い恐れることなく挑戦していきましょう


それでは

全国優勝校出身卓球コーチの卓球上達ブログ

全国優勝校出身卓球コーチが技術や練習方法、メンタルや世界の卓球情勢についてなど卓球に関する様々な情報を提供していきます。

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